15. 羊たちの沈黙

羊たちの沈黙〈特別編〉 [DVD]

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前にも後にもナシ

レッドドラゴン』が出て、アンソニー・ホプキンスによるレクター博士三部作が出揃いました。だから、実際には前作も後作(『ハンニバル』)もあるのですが。今、見直してみると、『羊たちの沈黙』は飛びぬけて珠玉の作品だと感じます。なぜだろう。
レッド・ドラゴン [DVD]
本作は、トマス・ハリスによる同名小説を原作にした映画です。レクター博士が登場する三部作の真ん中、二作目となります。内容紹介は、上画像のリンク先を見ていただければと思います。この映画が好きな人には、原作小説もぜひおすすめ。映画よりも情報量があり、映画に描かれなかった展開(ロマンス)もあったりするので。
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さて、本作の良さを並べてみましよう。まず、音楽がいい! メイキングによれば、音楽はジョディ・フォスター演じる主人公の心理を表すそうです。主に「不安」でしょうか。
次に、アンソニー・ホプキンスがいい。まだ今ほどメジャーになる前、主に舞台俳優として活動していた彼は、本作ではスリムで、シャープで、猛禽類の物腰と賢者の知性の両方を演じきってます。マジ怖い。『ハンニバル』では、脱獄してうまいもん食いすぎてる感じだし、『レッドドラゴン』では、捕まる前にうまいもん食いすぎてる感じです。だから設定にはあってるんだけどね(笑)。
そして、ジョディ・フォスターがすばらしい。彼女演じるFBI捜査官クラリススターリングは、押しつぶされるような恐怖、困難に挑む英雄です。しかし、戦う時の彼女の不安は、見るわたしたちにダイレクトに感染します。安心してみてられる、崇めるような英雄とは一味違う。
羊たちの沈黙 (新潮文庫)
彼女は本作に一体何を込めたのでしょうか。

原作者トマス・ハリス

本作の原作者トマス・ハリスは、アメリカ南部の出身です。ジャーナリストを経て、社会派小説を発表しました。映画と同名のレクター三部作以外では、『ブラックサンデー』だけかな。非常な寡作家。
ブラックサンデー (新潮文庫)
作品の特徴は、非常にディテールが緻密なこと。がんばって読むと、アメリカのFBIやらの官僚組織、新聞社などのマスコミ、上流金持ち、などなどの実態について詳しくなった気がします。もちろん、異常心理、それに伴う犯罪、そしてその捜査手法であるプロファイリングについても同様です。これらは、徹底した取材に伴う成果なのでしょう。
ハンニバル(上) (新潮文庫)
一方で、これらの社会状況、あるいは社会システムに対する作家の気持ちが、やがてたちこめてくるというのも、どの作品にも共通する要素です。それは何かというと、現存する世界に対する怒りであったり、皮肉であったり、さらにはその不完全さを呪うような気持ちのように思います。
レディ・ジョーカー〈上〉 id:mLink:20041218
この辺り、国内作家では、僕は高村薫作品にリンクしたりします。

心の暗い森

さて、本作映画に戻ります。ジョディ・フォスターは本作の脚本に非常に執着したそうです。僕はメイキングで初めて知って驚いたのですが、本作はハリウッドでは低予算の部類に入る映画だそう。それなのに彼女は、豪華な予算がついた映画『ハンニバル』の出演は断りました。この経緯、知ってる人には有名だと思いますが。
メイキングによると、ジョディ・フォスターは、本作を英雄誕生の物語、神話のようだと解釈したそうです。つまり、まだ未熟な主人公が暗く危険な森に入り、代わりに大いなる知恵を授かり、英雄として人間の世界に戻るというお話です。
なるほど、「ギルガメッシュ叙事詩」や中世の騎士道物語に同様のプロットがあった気がします。化物を倒して森を切り拓き、あるいは森の賢者の知恵を得て、英雄が人間を導いたと。
森の記憶―ヨーロッパ文明の影
本作の、森の化物(レクター博士)はまんまと人間世界に入り込んじゃいますが(笑)。それはさておき、ヒトの異常心理を心の暗い森と例えるのは面白かもしれません。これまで森を切り拓き、文明を発展させてきたヒトが、この世に残された森、心の暗い森に心惹かれるのは当然のことだからです。
そんな風に考えると、本作は単なる異常犯罪モノのさきがけ、刑事モノでは決してなく、人間にとっての実に壮大な物語に思えてきて楽しくなっちゃいます。