24. 寄生獣

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス)

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス)

エレガントなストーリー

名作というのは、読み返すたびに新たな発見があるもんなんですね。ちょっとビックリ。というわけで、『寄生獣』です。いちおうリクエストに対するレビュー初。
簡単な内容を、Amazonから抜粋します。

出版社/著者からの内容紹介

…(略)…

シンイチ……
『悪魔』というのを本で調べたが……
いちばんそれに近い生物はやはり人間だと思うぞ……

他の動物の頭に寄生して神経を支配する寄生生物。高校生・新一と誤って彼の右手に寄生したミギーは互いの命を守るため、人間を食べる他の寄生生物と戦い始めた。

補足すると、この寄生生物とは知能があり、人間を食料とし、細胞を剣のように硬質化させて戦う生物。通常は人間の頭に寄生し、戦闘時に頭が変形、鞭や剣のようになり敵をきり刻みます。寄生体の人間は、脳を食われて死んでます。ただし、寄生生物にとっては、首から下の器官が生命維持装置として必要なのです。ところが、本作の主人公・新一には、ふとしたことで右手にこの知的寄生生物が宿る「不完全体」となります。一つの肉体を共有する、新一とミギー(寄生生物)の日常と非日常を描く物語です。
さてさて、本作は「生物とは」「文明と環境」そして「人間とは」などの、大きく深いテーマを扱ったマンガで、刊行当時からその先見性や鋭さが話題でした。僕が初めて触れた頃は、まだ『ナウシカ』の名残りもあって、どうしてもそういう「文明批判論」的な見方してしまいました。
風の谷のナウシカ DVD コレクターズBOX
しかし、小難しい漫画ではありません。ストーリーの完成度は驚くばかりで、全く無駄なく、誰もが一気に読み進めてしまうほど面白い。寄生生物の戦闘シーンは独特で、残虐シーン含めて斬新なのは今も変わらず。人物描写はリアル。。という、極上のエンターテイメントです。
遊星からの物体X [DVD]
ちなみに、実際に元ネタかどうかは置いといて、寄生生物のモデルと思われるもので映画『遊星からの物体X』にリンク。機能面、デザイン面、「人間との見分け方」など似てます。
ターミネーター2 [DVD]
逆に、よく言われましたが『ターミネーター2』は本作の影響あるらしいですね。

日常を描く天才 【ややネタバレ】

本作の魅力は、物語の初めから疾走する非日常性が一つにあるでしょう。寄生生物そのものや、彼らが引き起こす暴力、そしてそれに巻き込まれパニックとなる人々。寄生生物は情に乏しい「昆虫」のような思考という設定ですが、デザイン面では実は表現豊かだと思います。見慣れない表情ながら、読む側に恐怖を植え付けたり、ミギーは愛らしかったり。
残虐シーンも含めて、本作はなんでこんなに圧倒的な迫力があるのだろう、というのは昔から気になってたことでした。で、思ったのは、逆なんじゃないかということ。この作家、非日常を描く以前に、日常を描くことに恐ろしく長けているんじゃないのかと。
で、岩明均作品の『風子のいる店』にリンク。内容はAmazonから。
風子のいる店 (1) (講談社漫画文庫)

出版社/著者からの内容紹介
郊外に住む高校生、風子。内気な性格で、人と話をするとどもってしまう彼女が、喫茶店ロドスのウエートレスになった。客の注文を繰り返すにもしどろもどろ、乱暴な客にも文句1ついえずおどおどしてしまい、半人前のウエートレスといわれてますます悩む風子だが、マスターの西崎はやさしく見守っている。そしていつしか、常連客にも風子のファンが増えた。…

紹介通り地味〜な漫画です(笑)。でも、面白いというか読み進めちゃう。ストーリー展開ではなくて。例えば、見た事あるような喫茶店の看板、郊外の住宅地風景、学校の少し怠惰な空気感。こうした「日常」が迫力あるというとおかしいけど、しみじみ〜と説得力あって、その中に住む人に「がんばれよ〜」と思ってしまう。
こうしたリアルな日常と、そして非日常を切り替える、または組み合わせる表現では、本作以上のモノはどこを見渡してもなかなかないように思います。
ちなみに、本作ではこうした日常が少しズレていくのに敏感なのは、いつも女性です。例えば、新一の正体にめざといのは女子高生。寄生生物を見破るのは「母親」。そして終盤のおばあさんは、新一の抱える問題にすぐ気づき受け入れる。。このへん、作家の女性観でしょうか。ちょっと気になる。
七夕の国 (1) (ビッグコミックス)
寄生獣』をもっと楽しみたい場合は、『七夕の国』。こちらも面白く、日本歴史ロマンも加味されてますが、短めです。飽きちゃったのかしら。

今も残るテーマと、その後 【ネタバレ】

本作に戻りますが、やはり先見性に驚くばかりです。日常の学校生活に、ふいに暴力が侵入するというシュールな恐怖は、現実に起こりました。また、寄生生物は完全には駆逐されません。人間社会に溶け込み、それは「より凶悪な犯罪」が増えたために見過ごされる。さらにミギーが新一にかける言葉「それより交通事故に気をつけろ」も面白いですよね。
さて、これだけ社会情勢をさとった作品が最後に提起したものはなんだったのか。二つ浮かびました。一つは、異常心理の人間(寄生生物ではない)、殺人犯の浦上の存在。実は昔読んだ時は、彼のくだりを蛇足と感じてたんですが。。結局、本作のテーマは「人間とはなにか」という問いかけでしょうか。浦上の「俺は何者だ。俺こそが…」という叫びは、ミギーとの共同体である新一に、「人間の定義」を求めるものだったんですね。
ヘウレーカ (ジェッツコミックス)
次に、二つ目に行く前に、作家の近作にリンクします。『ヘウレーカ』。ローマ時代を舞台に「アルキメデスの装備」が起こす暴力、天才が作った兵器の残虐さが「非日常的」に描かれます。
ヒストリエ(1) (アフタヌーンKC)
そして『ヒストリエ』。こちらは「アレキサンダー大王の書記官エウメネスの波乱に満ちた生涯! 」とのこと。連載中です。思うに、勇敢で、残忍なスキタイの民族性、戦闘が「非日常的」に表現されてます。。
……ちょっと、気になりませんか?
では本作のラスト、ミギーはどうなったのか。それは、新一の内面世界に「眠る」ことになり、肉体的に同化します。ミギーを抱えて生きる新一に暗さはなく、むしろ晴れ晴れとしている。
二つ目はこう考えると面白い。本作家は、すでに「ミギーなるもの」「非日常性」というものを、寄生生物や地球外生命(および超能力)などの、人外のモノと考えてないのかもしれない。つまり、われわれ人間は、そもそも「ミギーなるもの」(暴力、残忍性、不条理)をもとから抱えており、それは歴史にあらわれていると。そしてそれがふいに露(あらわ)になる瞬間を、卓越した表現で、日常と非日常をきりかえながら描かれるんだとすれば……
岩明均作品の今後の展開に、スリリングなまでの期待と興奮がわきあがってくるのです。